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コミュニケーションの道具 

煙草おもしろ意外史 煙草おもしろ意外史
日本嗜好品アカデミー (2002/09)
文藝春秋

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日本嗜好品アカデミーなる団体が書いているこの本、「アカデミー」とつくだけあって、煙草の歴史を手始めに、コミュニケーション、大人、文化についてと深く展開していくところが(嫌煙家からすれば強引にしか見えないかもしれないが)かなり面白い。

まずは煙草の歴史。
煙草は元来,自然への、神への供え物として使われていて、その後、コロンブスによってヨーロッパにもたらされ、社交の道具として重宝されるようになる(当時から何度も迫害を受けていたらしい)。自然との対話の道具から、他者との対話の道具へ。そして、デカルトが理性を発明した近代になると、煙草は一人、思考にふけったり、読書をしたりするなど、自己との対話をするためのものになる。
整理すると、

1人と自然(神)とのコミュニケーション
2人と人とのコミュニケーション
3自己とのコミュニケーション(思索など)

という3つの段階のコミュニケーションの促進に、煙草が重要な役割を担ってきた!ということ。さらに、著者は現代の様々な問題ー自然環境の汚染と破壊、親子の断絶、ひきこもり、近隣社会の疎遠化、精神や神経の病などーが結局のところ、すべてコミュニケーションの病ではないかと言う。そして今、もっとも必要とされているものこそ(煙草が果たしてきたような)様々なレベルでのコミュニケーションなのではないかと。「煙草は健康に害になるから全面的に禁止しろ!」などとヒステリックにならないで、煙草の一服でコミュニケーションが活発になれば、その方がずっといいんじゃないか。

そもそも煙草、酒、コーヒーなどに代表される「嗜好品」とは、栄養摂取を目的とせず、香りや味など感覚的な刺激を楽しむものであると言う。本来、大人の嗜好品であるはずの煙草は「大人の」自己裁量に任されるべきもののはず。それが、「健康」という一面的な軸で排斥されようとしているところに、現代の「大人になりきれない大人」があるのではないか、と。僕自身、「カセギ」と「ツトメ」を果たしている大人かどうかは自身ないけど、この意見には概ね賛成。たかが煙草、されど煙草、大人論にまで行き着いてしまうのだ。
とりあえず、一服でもしませんか?









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